第一問 評論『サウンドとメディアの文化資源学ー境界線上の音楽』
文章の内容:人々の「鑑賞」をする際のまなざしによって成立する、「音楽」や「芸術」そのものの概念を筆者が問い、考え直す。
全体的な難易度は易しくなった印象です。2022年度・2023年度と二年連続で用いられた、「複数の文章を読んで、各文章の問題の要点を押さえる」問題形式から、本文と「生徒が書いた文章」から構成される簡素な構成に変更となりました。
字数こそ増加したものの設問自体に難解な問題はなく、誤答を誘うような解釈を取り違えやすい選択肢も少なかったように思います。
【解説】
問1 傍線部(ア)~(オ)に相当する漢字を含むものを、次の各群の①~④のうちから一つ選べ。
(ア)掲載 ①啓発 ◎②掲出 ③契機 ④系図
(イ)活躍 ①ご利益 ②倹約 ◎③躍如 ④役職
(ウ)催し物 ①採択 ◎②催眠 ③喝采 ④負債
(エ)悪弊 ①公平 ◎②疲弊 ③幽閉 ④横柄
(オ)紛れ ①噴出 ②分別 ◎③紛糾 ④粉飾
漢字は以上の通りです。◎のついているものが正解の選択肢になります。
問2 傍線部A「これが典礼なのか、音楽なのか~微妙である。」とあるが、筆者がそのように述べる理由として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
傍線部中の「これ」とは、第一段落「モーツァルトの没後200年を記念する追悼ミサ(における《レクイエム》)」のことであり、それが「微妙(=典礼なのか音楽なのか判断がない)」と、筆者が考える理由を答える問題。
傍線部内に「実は」と記載されいているので、理由は傍線部世よりも後に書かれています。
また、直後の「たしかに~」や6段落目初めの「そして~」は筆者が一般論や現状を説明している箇所なので読む速度をスピードアップさせてさらっと流します。
【ポイント】「追悼ミサ」を何と捉えるか
捉え方①「モーツァルトの《レクイエム》という音楽作品」である(第2段落等)
※宗教行事・典礼からは切り離してとらえる
捉え方②「モーツァルトの音楽を含む宗教行事・典礼」である(第3段落等)
捉え方③「モーツァルトの音楽を含む宗教行事・典礼」の全体が「音楽作品」である(第6段落等)
第6段落の最終文「ここで非常におもしろいのは~生じているということである。」という記載がある通り、筆者の立場は捉え方③。
これを踏まえたうえで、正解の選択肢は⑤になります。
①「典礼の一部~典礼の全体を体験することで、楽曲本来のあり方を正しく認識できる」=捉え方②
②「独立した音楽として鑑賞できる」=捉え方①
③「音楽として典礼から自立」=捉え方①
④「典礼が音楽の一部(=鑑賞される)」が誤り。
「典礼+音楽=『作品』(=鑑賞される)」が正しい解釈となる。
問3 傍線部B「今『芸術』~しつつある状況」とあるが、それはどのような状況か。その説明として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
【ポイント1】言い換え
傍線部B=直後「『博物館化』、『博物館学的欲望』などの語で呼ばれる、きわめて現代的な現象」→問2で確認した筆者の立場③を一般化した状況
【ポイント2】3つの「鑑賞のまなざし」・・・第7~8段落で述べられている
まなざし1⃣ 様々な「作品そのもの」を鑑賞するまなざし(現実のコンテクスト〔文脈〕からは引き離す)
まなざし2⃣ 作品を、それが置かれていた現実のコンテクストに戻して、作品を鑑賞するまなざし
まなざし3⃣「『作品が置かれていた現実のコンテクスト』+『現実の都市の様々な空間』」=作品とし、全てを鑑賞するまなざし
傍線部Bの状況=3⃣のまなざしが作り出す状況であり、それを正しく説明しているのは①である。
②「美術館や博物館よりもその周辺に関心が移り」→文章に記載なし
③「施設内部と外部の境界が曖昧になる」→文章に記載なし
④前半「生活の~なったことで」→1⃣の説明なので誤り
⑤後半「町全体を~出現してきた」→追悼ミサを鑑賞するまなざしの話と関連性が無いので誤り
問4 傍線部C「なおさら~ないだろうか」とあるが、筆者がそのように述べる理由として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
傍線部Cは、直前の「『音楽』や『芸術』という概念が自明の前提であるかのように考えてスタートしてしまうような議論」に対しての疑問である。なぜ、そのような議論を警戒しなければいけないのか。
【ポイント】第10段落目初め「問題のポイントを簡単に言うなら」
わざわざ書いてくれているので、見逃すわけにはいかない。
★「『音楽』や『芸術』は最初から『ある』わけではなく、『なる』ものである」
→ⅰ)何が「音楽」か、何が「芸術」かは最初から決まっていない=「ある」ものではない
→ⅱ)人々の「まなざし」によって音楽または芸術に「なる」
ⅰ)、ⅱ)が自明のものになれば、10段落2行目「いつの間にか本質化され、最初から『ある』かのような話にすりかわって」しまうので、傍線部Cの通り「警戒心を以て周到に望まなければならない」ことになる。以上を踏まえ、正解の選択肢は⑤。
①「博物館学的欲求」が誤り。「コンサートホールや美術館の内部で形成された」のは『鑑賞』のまなざし
②前半「『音楽』で~しまうから」が誤り。
「音楽」や「芸術」といった概念を繰り返し使用した結果起こる可能性の一つでしかない。
③「コンサートホール~広げていった」が誤り。「鑑賞」のまなざしが「聖域」を超えて広がった。
④前半「『音楽』や『芸術』は~概念である」が誤り。傍線部Cの直後「一定の価値やイデオロギーに媒介されることによって成り立っている」のは「このような状況自体」である。「このような状況」=「博物館化」であり、主語が異なる。
問5 この文章の構成・展開に関する説明として適当ではないものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
正解の選択肢、つまり適切でないものは③。
選択肢の前半部「7⃣段落は、~別の問題への転換を図っており」が不適当。
7⃣段落の役割は、直前6⃣段落で話題となっている、<モーツァルトの追悼ミサ>についての具体的な議論を、「芸術全般」に視野を広げることで一般化を図ってはいるが、「新たに別の問題への転換」は図られておらず、不適当となる。
問6 授業で本文を読んだSさんは、作品鑑賞のあり方について自身の経験をもとに考える課題を与えられ、次の【文章】を書いた。その後、Sさんは提出する前にこの【文章】を遂行することにした。
ⅰ)Sさんは、傍線部「今までと違う見方ができて(【文章】中1行目)」を前後の文脈に合わせてより具体的な表現に修正することにした。修正する表現として最も適切なものを、次の①~④のうちからから一つ選べ。
Sさんの書いた【文章】は「作品を現実世界とつなげて観賞することの有効性」について述べられている。【文章】中には2種類の鑑賞方法が出てきている。
<その一>作品と重ね合わせて現実を鑑賞する(=作品越しに現実をみる)
<その二>現実を重ね合わせて作品を鑑賞する(=現実越しに作品を見る)
【文章】の3段落目、自身の経験が書いてある段落であるが、傍線部を含む部分に「小説を読んでから訪れてみると、今までと別の見方ができて」とある。小説(作品)を読んでから(現実に)訪れているので、<その一>に該当する。選択肢の中で、<その一>に該当するのは①のみである。
ⅱ)Sさんは自分が感じ取った印象に理由を加えて自らの主張につなげるため、【文章】に次の一文を加筆することにした。加筆する最も適当な箇所は(a)~(d)のどの箇所か。次の①~④のうちからから一つ選べ。
加筆分「それは単に、作品の舞台に足を運んだということだけではなく、現実の空間に身を置くことによって、得たイメージを自分なりに捉え直すことをしたからだろう。」
加筆する一文でポイントとなる表現は後半、「現実の空間に~捉え直す」の部分である。
これは、ⅰ)のその二に該当する。その二については、それ以降で触れているので必然的に(c)か(d)の二択になる。(d)の直前「~こともあるのだ。」は、断定の文末表現を用いている。その二の内容は一区切りついていると考えられるので、これ以降に加筆するのは文の流れとして違和感がある。よって正解は(c)なので③が正答となる。
ⅲ)Sさんは【文章】の主張をより明確にするために全体の結論を最終段落として書き加えることにした。そのための方針として最も適当なものを次の①~④のうちから一つ選べ。
<その一>もしくは<その二>のみにフォーカスした内容では、「全体の結論」として」不十分である。よって、両者を網羅的にまとめた②が正答となる。
②は〈作品越しに現実を見る〉且つ〈現実越しに作品を見る〉ことが述べられている。
①は<その一>にしかフォーカスしていないので誤り。
③は「現実世界を意識せずに作品世界だけを味わうことも有効である」が誤り。本文ではこの内容に言及があるものの、【文章】では言及されていないので「全体の結論」とは言えない。
④は<その二>にしかフォーカスしていないので誤り。
以上が、論説文の解説です。
小説や古文・漢文については記事を分けて解説したいと思います。